木鶏とは

中国の古典「荘子」に木鶏という話があります。紀省子という男が闘鶏好きな王(周の宜王といわれている)の為に、軍鶏を調教訓練しておりました。十日ほどたったころ、王が「もう良いか」と聞きましたところ、紀省子は「いや、まだいけません、空威張りして、俺が俺がというところがあります。」と答えました。

更に十日たって聞きますと「まだ駄目です。相手の姿を見ると、睨み付けて圧倒しようとするところがあります。」そうして、更に十日たって王が聞きますと、初めて「まあどうにか、宜しいでしょう。」他の鷄の声がしても少しも平生と変わるところがあません。その姿はまるで木彫りの鷄のようで、微動だにしません。徳が充実しました。もうどんな鷄を連れて来ても、これに応戦するものは無く、姿を見ただけで逃げてしまうでしょう。」と言ったとのことです。

木鶏というのは、本物だということです。講談本などに、たいして強くない男が、髭を生やし、重い木剣を持っていかにも自分が強い武芸者であるかのように見せかけるという話がよく出てきますが、そういう人は本当に強い武芸者ではなく、新陰流の柳生石舟斎や槍の宝藏院胤栄といった名人、達人は見るからに好々爺然として決して威張っていなかったといいます。

つまり石舟斎や胤栄は本物の武芸者であって、木鶏になりきっていたというわけです。

会社で同僚に君呼ばわりされたといって怒ったり、課長になって「課長」と呼ばれなかったら返事をしなかったりといというようなうちは「空威張り」で、到底木鶏とはいえません。

一般的にいって、いい格好をしたがって、いい洋服を着たり、いい自動車に乗ったりするのは偽物であって「木鶏」ともなると、そのようなことには拘泥しません。

ゼニが有るとか無いとか、社会的に地位が高いとか低いとか、そういう形にとらわれません。

宗教家、侠客、実業家、人間というのはなかなか本物、木鶏にはなれないものです。

話は変わり、安岡正篤先生は前記の講話の中で次のような挿話を語っています。

双葉山という大横綱がいましたが、安岡先生は双葉山に木鶏の話をし、書まで書いて渡しています。双葉山が69連勝という偉業を成し遂げる前ですが、強いというので、大変人気が出ている頃でした。安岡先生が一杯機嫌で「君はまだまだ、駄目だ」というと双葉山はさすがに謙虚で「何故、駄目ですか」と問い返しました。そこで安岡先生は木鶏の故事を説いたという次第ですが、双葉山は大変に感じ入り先生から貰った書を部屋に掛けて朝晩静座し、木鶏になる訓練をしたというのです。

これには後日談があります。安岡先生がヨーロッパに行く船旅を楽しんでいる所へ、双葉山から「イマダモクケイニオヨバズ」という電報が届きました。70連勝を目前に敗れたことを知らせてきたのですが、ボーイも係りの者も、何の事か分からない訳です。安岡先生が説明すると、この話がたちまち舟中に伝わり、とうとう晩餐会の席で大勢の人にせがまれて、木鶏の話をさせられました。

双葉山は当代随一の人気者でしたし、安岡先生は一代の碩学ですから、この話は自然に広がってあちこち鷄ならぬ「人間の木鶏会」が出来たという事です。


致知とは

致知とは中国の古典「大学」に出てくる「格物致知」という言葉から来ています。「大学」とは「大人の学」つまり現代でいうリーダーが修める学問を説いた教科書のようなものです。

「格物」というのは「物にぶつかる」という意味があります。「致知」とは物にぶつかって、そこから得られた知恵 知識ということです。