第1原則 善因善果
聖書の「山上の垂訓」に、「右の手で良いことをして、左手にも知らせるな」というのがある。
誰にも話さない善根を積むことが、運命改善の絶対条件である。良いことをしたら、出来るだけ早くそれを忘れてしまうべし。
第2原則
是が非でもという願望は達成されない
是が非でも達成したいという願望を、運命に対する我が儘という。歴史上の悲劇というのは、すべてこういう我が儘が、運命の手によってぴたりと押さえられた悲劇である。
スポーツにしろ、受験にしろ、ビジネスにしろ、「是が非でも」と考えると、この運命の原則に違反して失敗する。もっと淡々と冷静に、「是が非でも」という考えを捨てて臨むべきである。
第3原則
得意は失意の前兆である
人間は情ない生物である。すこし得意な境遇に納まると、すぐにふんぞりかえって威張りたがる。 昨日まで威張りかえっていた人が、定年などで辞めたりすると、まるで掌を返したように頭が低くなる。得意満面の思い上がった態度は、天もこれを憎むものであるから、そういう態度では得意の境地が永続きする筈がない。
また「失意のあとには必ず得意の時期がくる」というのも運命の大法則である。決して失望・落胆しないこと。
第4原則
願望は諦めたときにひょっこり達成される
運命とはこのように皮肉なものである。何かの願望に対して精魂を傾けて努力してみても、なかなかそれが達成されない。万策つき果てて、この願いはとうてい達成されない無理な願いかと諦めた途端に、その願望がひょっこり達成される。一生懸命に努力してみても、容易に事が成就しないような場合には、運命に対する我が儘なのかどうかを反省してみて、「成就を天にまかせる」心境をもつことが、事の運びを良くして達成されることをこの原則は教えている。
第5原則
訪れてきた運命の波には乗るべし
外から思いもかけない良い運命の誘いが来ているのに、「ああでもない、こうでもない」とひねり回すだけで、せっかく訪れてきた運命の波にいっこう乗ろうとしないのは、これも運命に対する我が儘であって、その結果は良くない。ルビコン川を渡る運命に立たされた場合には、勇敢に川を渡るべきである。「三顧の礼」をもって迎えられるような運命が訪れてきた場合には、多少の不満はあっても勇敢にそれに乗るべきであることをこの運命の原則は教えているのである。
第6原則
潔(いさぎよ)きは非惨を伴う
この原則は、我慢が足りずに、いさぎよい行動に出るのを戒めている。我慢すべきときには歯を食いしばって我慢し、変わるべきときには勇敢に転身する。
これが成功者のコースであり、その逆が失敗者のコースである。
第7原則
誰がみても気の毒な状態は運命好転の前兆
周囲から叩かれる場合、叩かれるだけ叩かれる方がいい。平社員に落とすといわれたら、素直にそれを受ければいい。
こういう状態に陥った場合は、強いて周囲の白眼に対して反抗したり、無用の虚勢を 張ったりしないことが大切である。 気の毒と誰からも見られる状態が深刻であればあるほど運命の好転が早いのである。
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