黒い月
月の無い夜。 森の中をアカラナータは走っていた。 夜はとっぷりと暮れ、星の明りのみが空に輝く。 限りなく闇に近い深夜の森に、 ただゼイゼイという息の音のみが響く。 普段ならば、この程度の疾駆で息が乱れることなどない。 ただ、今夜だけは。 月の無いこの夜だけは、少々都合が違っていた。 月は大地のソーマの指標。 新月の夜には、大地のソーマは地の奥深くで荒れ狂い、地表へもその力は氾濫する。 そして、その力は「すでにこの世のものではない」アカラナータにも影響を与えていた。 普段は理性によって押さえ込まれていた黒のソーマが、 大地のソーマの乱れに煽られ、共鳴し、暴れだす。 全てを破壊したい。 壊し、砕き、無に還したい。 この世界も。 デーヴァも。 アスラも。 そして、己さえも。 その欲望と衝動に流されぬよう、 アカラナータは全身全霊の力をこめて、 身体を荒れ狂う黒のソーマを押さえ込む。 あと、少し。 木々の向こうに森林の終わりが見える。 そして、そこには。 ばさり。 勢い良く飛び出したそこには、一面の紅色が広がっていた。 闇の中、僅かな星の光に照らし出された、曼珠沙華の、花畑。 その真中に、アカラナータは力尽きたように倒れこんだ。 荒い息のみが、静寂の中に響く。 黒のソーマとの格闘はまだ続いていた。 ただ、少しだけ、荒れ狂うその勢いが治まるのをアカラナータは感じていた。 これで、なんとか朝まで耐えしのげるだろう。 月が沈み、日さえ昇れば、大地のソーマはいつもの落ち着きを取り戻す。 もちろん、自分の中の黒のソーマも。 今回も、何事もなく済みそうだ。 額から流れ落ちる脂汗もそのままに、 全身を包み込む紅い華をぼんやりと眺める。 新月の夜に異変を感じるようになって、もう幾度目になるか。 最初はただ偶然、天空殿に被害を出さないようにと離れて辿りついただけだったが、 いくらか沈静の効果があると気づいてからは、新月のたびにここを訪れるようになった。 なぜ、ここへくると治まるのか。 答えはまだでない。 唯なんとなく、この紅い華に安らぎを感じているような気はしていた。 それが助けになっているのかはともかく。 紅い華。 それが嫌でも連想させる相手を想って、アカラナータは薄く息を吐いた。 「・・・冗談じゃねぇ」 眉間に皺を寄せて、呟く。 そんなことを本人言えば、どれだけ調子に乗ることか。 なかったことにしよう。 そうぼんやりと考えながら、紅い華を指で弾くと、 うっすらと空が白んできた。 それは同時に、内なる闘いの終わりを告げる。 そういえば、アイツがこんな風に苦労してるという話は聞いたことが無いな。 今度、探りを入れてみるか。 ようやくそんなことを考える余裕も出てくるが、 体力も、精神力もそろそろ限界だ。 「・・・おやすみ」 誰に言うとも無く、ぼそり、と呟くと アカラナータはうつ伏せのまま、ゆっくりと目を閉じた。 「腕の中で」ってキーワードは直接的にはでてきてないんですが、 なんとなくそんなイメージで書いてみました・・・。 もういっそ、お姉様の腕の中ってか胸に飛び込んじゃえばいいじゃん、って思うんですが。 この辺の設定をレンゲさん修行と絡められればいいなーと考えては、います。 update 2011/05/08 |