坂村真民先生
御講話紹介

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〔司会/稲荷さん〕
○昨日からの恵みの雨で、野も山も本当に涼しい風が吹いています。おかげ様で、今日は
  150回目になりました。ありがとうございます。早速、お話をうかがいたいと思い
  ます。よろしくお願いします。
〔坂村真民先生〕
○こんにちは。テーマを書いておきましたが、「不言実行」です。誠実であれ。これはい
  つも、ギリギリまで考えるんです。人が言うたことを言いたくないし・・・。(笑い
  )
○不言とはあれこれ考えずに信じて実行する。「良いことを信じて行う」これが今の日本
  にいちばん欠けていると思います。それでこれを掲げました。
○大体、日本の民族性は、相手に対して自己主張するというのは下手なんです。それは、
  周囲が海で相手がいないということもあります。特に武士道というものは、「男はあ
  まりしゃべるな」というものです。女の人は別ですが・・。そういう躾けを武士の躾
  けとしてやってきた。
○「黙って食べろ」というでしょう。善と思うことは実行する。いくらいいことを考えて
  も実行しなかったらダメだというのてす。今の財界、政界、学者、坊さん、宗教家な
  どたくさんいるでしょう。ちっともよくならない。地球上には、どれだけ牧師さんが
  いるかわからない。信者がいるかわからない。ちっともよくならない。本当によくな
  らない。
○今の外務省の外交官なんか、エリート中のエリートてすよ。僕の旧制中学にも、大臣と
  までゆかなくても長官という人がいた。校長が招いて「うちの学校からこんなにえら
  い人が出たんだ」ということであった。
○僕の父の兄弟の孫にあたる人。それが、中学100年祭に参加していた。学校をあげて
  の、みんなが勉強して、こういうえらい人になってくれといわんばかりの講演です。
○だから、いい学校だというのは、東京大学に何名、早稲田に何名、慶応に何名というこ
  とでいろいろと評価するでしょう。肩書、学歴はもっているが、不言実行ということ
  ができていない。日本のためにいいことをしようと考えるのは一人もいないというの
  です。
○わからない。こういうことはしてはいけないことかどうかという判別がつかない。大変
  な現在の日本のインテリと言われる人たちの人間性ですね。かえって、そこらの人達
  の方が学歴もない人達の方がよっぽど、これはしてはならないということがわかって
  いる。どそれは気海丹田というところからわかるというのです。
○ただ、人間として、やってはならないことがわからない。このままいったら、日本の国
  は滅びるかもしれないというほどです。日本がいちばん危なかったのは、貴族階級か
  ら武士階級がおこる時の中間状態です。それを乗り切ったのが、空海上人とか、道元
  禅師とか、一遍上人とかの功労です。
○道元禅師がいらっしゃるまでは、作法の基本、食事、お茶などのことも知らなかった。
  それを教えてきたのです。人間としては、こうあるべきだということを教えてきたの
  です。そういうことがじっとしみこんできて、百軒長屋というのも、貧乏な人達もお
  互いを思いやって生きていくという江戸時代の人情のよさですね。
○私は松山にきて一遍上人の弟子になったと自分で言っているんですが、男20人、女2
  0人ぐらいを連れて、全国、踊り念仏でまわったという。これは、時々、弘法大師で
  もできないんじゃないだろうと思う。
○弘法大師も男20人、女20人というような人たちが一緒に歩いて、「手を出したらい
  けない」ということが暗黙の了解となっている。「あの人は偉い人だから、その指導
  に従っていく」というようにわきまえがあった。しっかり、腹にもっていた。しかし
  、今は、エリートのエリートが悪いことをするでしょう。
○良いことを信じて行うのが、不言実行です。今がいちばん、こういう日本人が不言実行
  の精神をもたなければならないと思います。
○僕は今朝、午前3時30分。寅の一刻という時間にでかけます。念ずれば花ひらくの碑
  がありますが、そこで宇宙の霊がおりてくる時間。いつでもやっていいかというと、
  やらんよりいいと思いますが、弘法大師も寅の一刻で生きながら、仏様になられた。
  弘法大師は寅の一刻ということを知っておった、それを実践されたのが、えらい。
○方や、最澄という存在。最澄と空海(高野山)について比較する。祈りをするなら、寅
  の一刻の内容をチェックします。今日も音を立てて雨が降っている。
○何かあると、一週間前ぐらいから、「朴庵例会の日の天気」が気になる。雨のマークが
  消えない。今日の午前3時30分には音を立てて降っている。「これは入魂式もある
  のに、せっかくやるなら外でやりたいものだ」と思って、弁財天様に一生懸命にお願
  いしました。北海道にいった時に、「二度とない人生だから」ということで長文の内
  容を碑にしていました。本当によく雨が降った。
○そうしているうちに、然別湖にゆく。地図にほとんど描いていないような湖です。その
  時も雨がたくさん降っていた。降らないように一生懸命に祈った。そうして気がつい
  てみると、蛇が天井から垂れさがっている。弁財天様というのは、蛇が化身です。
○私の知っている北海道のいろいろな人が全体から集まってくる。テントはあるが、お坊
  さんが読経するためだけのものです。雨が降って大変である。しかし、「先生が話し
  ておられる時間の2時間ぐらいはちっとも雨が降らなかったなあ」と言っている。
○今日の新聞をみたら、天気予報が気になるところである。一週間前ぐらいから、天気が
  気になるというのです。信仰というものはそういうものです。信じる。
○僕の詩に「何がいちばんいいか?花がいい。花のどこがいいか?信じて咲くのがいい」
  という内容がある。私の詩を英語に訳したがあります。その訳した人が九州におられ
  るので、手紙を出した。今度は、アメリカにおられる信徒さんから手紙があった。「
  次の機会にはお会いしたいと思います」ということでした。
○花のどこがいいか?「信じて咲くのがいい」ということでした。信ずるということが大
  事なことです。そこがなかなか難しい。
○『喜積』という言葉があります。積み重ねてゆかなければならない。
○嶋野老師が大菩薩禅堂の責任者の立場で私に会いたいという。
○私は家内が病気をして、「奇跡を信ずるしかないです」と言ったんです。そうしたら、
  嶋野老師は「奇跡ということは、喜びを重ねることですよ」というのです。これは、
  外国の人にいっても通じません。よいことを重ねることによって、思いもよらない神
  の恵みを与えられる。「聖書の中の奇跡はそういうことだったのか」と思わされた。
○私は聖書の中でいちばん好きなのが、「マグダラのマリヤ」だというのです。万博があ
  った時にフランス人の彫刻家がマグダラのマリヤの像が万博に展示されているという
  ので、月の石とこの二つだけをめざしてゆきました。
○ソ連だったか、月から石をもってきた。毎晩のよヴに見上げる月・・・。そこに来てい
  るのが「月の石」だということを遠くから見てきた。近寄れないですよ。人か一杯で
  す。
○それから岐阜県にいって、「坂村さんいい時に来ました。月の石が私のところに来てい
  ます」というのです。それで、目の前でガラスの前に座って、ながめました。
○本当はそういうことはしてらならないのだが・・・。私は、伊勢の学校に行きましたの
  で、奈良を通過することが多いのです。よく途中下車して立ち寄ったりしました。
○日光菩薩、月光菩薩という像があった。拝ませてもらった。今は簡単に見せてはくれま
  せんよ。この時の月の石は非常に貴重な体験でした。
○観光、観光、観光といって「何をしていいかわからない」というのですから、仏様をか
  くしてしまったというのです。昔のように菩薩として行くようにというのです。
○しかし、目の前に月の石を見ることができたということは、すばらしい縁の導きをもっ
  ています。空から落ちてきた隕石。変わっている。月との縁というものが深いものが
  あります。
○3時30分に月光吸引ということをします。非常に大事な時刻です。えらい雨が降って
  いました。それが妙見さんのおかげで止んだということです。僕のおふくろは巳年で
  す。へびは好かんです。僕のおふくろは「巳年の人は晩年に裕福になる。お金に不自
  由しない」とか・・。何になりたいというのも信仰のひとつです。子供に死んだら何
  になりたいというと「鳥になりたい」という子が多いです。蛇になりたいというのは
  いない。(笑い)しかし、おふくろの骨壺はヘビが巻いていた。それを掘り出した人
  がその蛇を殺そうとした。私はやめてくれといった。お骨の壺を守ってくれたようだ
  。
○2メートルぐらい掘ったところにおふくろ遺骨があったのに蛇がまいていた。今は横浜
  にありますが・・。どういう時に生まれたかということも大事なんです。知らなかっ
  たら知らせてあげる。線を引っ張って、干支をひっぱって、対抗戦にある人は大事に
  しなさいというのです。酉年の人は卯年の人を大事にする。そういう人が来たら大事
  にしなさいというのです。もうひとつ、その人が助けてくれる。
○中国伝来のことですから、ただのつくりごとではない。だから、不言実行。「信じて、
  よいことをする」ということです。信じるんだということが大事です。信じて咲くの
  がいい。花はなぜ美しいか?
○今年は私の家の白木蓮は早く咲いて、もう散ってしまった。「あんた、ちょっと早く咲
  きすぎた。はっぱをつける前に大きな白木蓮が咲いてしまった」というのです。白い
  鳥が一杯飛んできたような・・。せっかちなんです。「ちょっと待ちなさい。あんた
  はさっと散ってしまう」というのです。かわいそうな気がします。2〜3日でなくな
  る。
○蓮(れん)というのは、蓮の花。木の蓮が木蓮です。「信じて咲くのがいい」よいこと
  だと思ったら信じて実行するんだというのです。信じるというのは信仰の信です。
○人間と人間の幸せも信じることが第一です。信仰ということをしてはならないというの
  が日本人です。「念ずれば花ひらく」という言葉も役場などでは必ず反対する人がい
  る。「信仰とか、念仏とか、お寺」というようなものか力をもったらいかんという。
  学校でも教えないようにしている。子供も家庭でも習わない。
○だから、信じるという言葉が家庭から、日本から消えてしまっている。これが、今の日
  本が滅びるかもしれないという追い込まれる。家庭からも学校からも、国そのものか
  らも、信じるということができなくなっています。
○何か、信仰が悪いことかのようにしてしまっている日本の玄奘があります。相手を信じ
  るということはいちばん大事なことです。人偏の信じるという字。森信三の信です。
  元々は、真ができたが、それではどうもということで、信の字ができた。
○不言実行というものは、ものいわずして、信じて、よいことをする。これが今の日本に
  いちばん欠けている。理屈だけで実行しない。実行なくして言葉だけのことである。
  老子が年取って、雲水と同じように托鉢や野良仕事をする。弟子たちが桑の葉で農作
  業の道具かくすんです。そうしたら、老子が食べない。「お前たちがかくしてしまっ
  たから、作務ができなかったから、そういう者には食べる資格がないんだ」というこ
  とである。それで、ついに弟子たちが根負けした。
○足が弱くなったのは、車のせいです。今日出会ったお医者さんは、90歳になってもい
  い仕事をするという。そういう人もある。90になった人も、90のできる仕事があ
  る。そういう会をつくりました。
○その次に「誠実であれ」というのです。誠実であれというのは、こっちのことです。こ
  こは朴庵という。特に入り口に朴庵があります。「これは何の木だろうか」と聞く人
  もいないというのです。
○私の話はたいした話ではないのです。しかし、聞くという姿勢はいちばん大事です。古
  い縁があります。松山石材さん、車でやってきた。「先生、石を切ったら、こんなに
  山の絵か出てきましたよ」というので、見てみると山があり、海があり、・・・すば
  らしい。
○前の古い家の玄関においておりました。その人も「これはすごいし石だ」というのです
  。「これはすごい石だなあ。一軒、家が立つなあ」という。そういうもの。ものを見
  たら、感動しないといけない。感動しないものは何の役にもたたない。聞いたのは、
  馬耳東風という。何にもならない。何か感動して帰らなければ・・・。感動を与えな
  いものはやってきても何にもなりません。
○この花は何の花だろう?この人は・・。なんという・・・。というように感動しながら
  ・・。感動しなければ、桜の花を見ても何の価値もありません。
○八木重吉『花はなぜうつくしいか?ひとすじの気持ちで咲いているからだ』というので
  す。私は大好きです。私は吉田町で雑貨を扱っている店があった。その中に混じって
  、八木重吉という人のことが書いてあった。これには感動しました。
○八木重吉はキリストより早く、結核になって死にました。その二行の詩が今までの詩作
  の力となってきました。ひとすじの気持ちで咲いている。ひとすじの気持ちで生きて
  いる。ひとすじの気持ちで信仰しているということ。3年ぐらいたって、「私も本気
  になりますよ」という人が、3年ぐらいするとやめてしまった。本気はなかなか続か
  ない。大抵葉失敗します。
○『本気』という詩があります。本気の恋、本気の仕事というものがでてきます。本気に
  なる。男と女が好き合って生きていくというのが恋ではない。どんなことがあっても
  愛するんだというのが本気の恋です。広島の原爆の時に、助けてくれという女性を見
  捨てて、自分がやられるからと逃げてしまった男性がいたというのです。実話です。
○一方で猫をかわいがっていたおばあさんがいた。そこでは、おばあさんをとりまいて猫
  がたくさん死んでいたというのです。ひとつの広島の原爆の中の美談です。僕はそう
  いうことが好きです。講談社から出た本の中に「自分は何もいいこともしていません
  が、一生懸命に生きてきました。閻魔大王様、よろしくお願いします。」というので
  す。私が母の背中で聞いた言葉のひとつが閻魔大王です。極楽に行く道に導いてくれ
  る。
○おばあさんが生きているうちにかわいがった猫や動物が死に際に会いに来るというので
  す。広島の原爆の時の実話に感動しました。おばあさんの恩を忘れずに迎えにくると
  いうのです。
○誠実さというのは犬でも猫でもわかるというのです。わかるところまでいくんです。私
  の家内は6年目に妊娠しました。8つ違いなんです。結婚した時から、「子供は生ま
  れません」という。なぜか?「8つ違いは生まれない」というのてす。それが本当か
  どうか、6年目まで子供ができませんでした。それで、おふくろが福岡の88ケ所に
  願をかけて、そして生まれて来た。その子供が残念ながら死産でした。
○そういう体験を持っていますからね。人間の真実さというもの。苦しくても、言葉に出
  して言わなくても、子供さんを愛していくというのは女の人の苦しみなんです。まし
  て、女の人ががんばってきた。
○ただ、「念ずれば花ひらく」というものは、私には体験があるんです。そういう物理的
  なものが、「信仰によって咲くんだ」というところまで拡大されるのがすばらしい。
  眠らずにお願いするということによって、目に見えない世界に働くものがある。
○ただ、真実主義というもの、真の心というもの。やっぱり、これを忘れて、天に通じる
  、地に通じる、神様、仏様に通じるということがとても大事なんです。今の日本には
  、誠実さが亡くなってしまった。
○まごころというのは本当に大事な世界です。どんな猛獣でも、大事にします。ああいう
  ものを見ると知恵だけで生きている現代っ子というものは心を失っているように思い
  ます。真心というものがいちばん大事だと思います。だから、テーマは「誠実であれ
  」というのです。朴の花ことばというのは、「誠実な友情」というのです。
○私は片山さんが全国朴の会の会長さんですが、朴というのは、花言葉の中でいちばんい
  い「誠実な友情」というので、いいというのです。僕は朴の木に教えられる。「真心
  を失ったらだめだ」ということを神様に代わって教えてくれる。
○檜がいちばんいいともいいます。檜から火を出して、檜というものは火を扱うようにな
  って、人間のひとつの世界がひらけてくるんです。檜というものは山火事が起きたと
  いうのです。それはお互いにこすれあって火が出るというのです。火は人間らしい生
  活のために重要です。大日如来様がだから、もっとも上段におられる。檜がいちばん
  です。
−−−テープ交換−−−−−
○朝起きたら、和尚さんが光をあててくださいという。晩年はカヤを吊って一人寝ておら
  れた。あんまり苦しそうだったから、女の人が肩でももみましょうかというのをしり
  ぞけている。それぐらい修行した。今の坊さんは大酒のみだったり・・。(笑い)
○日蓮上人は修行をたくさんした。行もした。自分一人で亡くなっていくという。この人
  の生きかたを自分は一生の生きかたにしたいという。
○真の心、誠実さというもの。自分が葉をしげらせると周囲の木が影になって迷惑するの
  ではないかということで、なかなか最後まで芽を出さないというぐらい思慮深いとい
  うことです。檜と違って、朴の木はたとえば、下駄の歯などがそうです。朴葉の下駄
  だというのです。下駄の歯だけ換えたらまだはけるというのです。だから、朴歯の下
  駄をはいたものです。人を支えるために・・。人の支えになる。
○それから大きな旅館の調理台は刃物を使って、骨を切ったりする。ああいうところで檜
  を使っても刃が折れるというのです。折れた刃も一緒にして調理に出したら大変であ
  る。その時のまな板に朴の木を使います。見えない世界でなくてはならない存在にな
  る。なくてはならない人間になる。そして、アジアをもって世界のいろいろな人を助
  けていく。そういうものが、朴の木のもつ他の木にない特色だと思います。そういう
  意味で地球上に朴の木をどんどん植えようという運動をしています。
○ニューヨークの島野老師が私が毎日、朴の木のところで祈っているのを知っていますの
  で、朴の木のところで、摩訶般若ハラミッタという熱意あるお経をあげてくださった
  。僕のところにきてから、あんなに心を込めて般若心経をあげてくださった人はめず
  らしい。僕のところにきて、「朴の木はどこにありますか」と聞きもしない。中には
  、僕の家に来て写真だけとって帰ったという人もいる。
○石をおいてあったら、「これはすごい石ですなあ、一軒家が建ちますなあ」と感嘆しな
  がらも写真だけとって帰ってしまった・・。記念碑の前でも、「いい風が吹きますな
  あ」という人がたくさんいたが、「この書はいいですなあ」ということを言ってくれ
  た人はなかなかいない。私の書をほめてくれたのは今まで一人だけですよ。(笑い)
○この石で一軒家が建ちますなあという人は本物ですが、頭だけで生きている、肩書など
  をもって生きていくという人ではありません。本物というものは、学歴とか、経験に
  もよらないのです。本気、本腰、本物という言葉があります。
○今は民衆から離れたのです。本腰の相撲取りがいなくなった。昔の人はア、ウンの呼吸
  というようなものがあって、迫力があってよかった。あれは、ア・ウンの呼吸という
  相撲です。呼吸があわなければ取り直しになる。腕、力・・。腰から出ている。とこ
  ろが、今、車に乗って場所にやってくる人がいる。スリッパをはいている。本物の試
  合というものは国民の中からも消えている。腰で相撲をとる人がいなくなった。
○本腰という言葉は、あらゆる力の中で腰の力がいちばん大切であるということです。出
  した米俵を元に戻すことができない。いちばん大事なのは腰なんです。それがいちば
  ん面白いのはと歴史なんです。やたらに本腰とか、本気という言葉を使う人はたいし
  たことはない。
○宇宙のいちばんいい時刻におきて、毎日でなくてもいいですから、宇宙の電波、エネル
  ギーを伝える。そういうことなら、95以上まで生きるかもしれません。長生きして
  ください。「二度とない人生をいくら強調しても・・・」ということである。
○今、日本でいちばん大事なのは、そういう真実性を無くした人がほとんどですね。だか
  ら、学問はいらんですよ。土曜を休みにしたとか。非常にいいことだと思います。学
  問はいらんです。人間の教育をする。むしろ、お母さんと一緒に土曜をどのように使
  うかということを考えたらいいと思います。
○私の孫の長男が今度幼稚園にゆくという。一生懸命に予備校に行きよるというので、聞
  いてあきれた。保育園にも予備校がある。幼稚園から大学に入れるための試験を受け
  ているという。それにおじいちゃんが一生懸命になるというのはどこかまちがってい
  る。
○自然と一緒に育っていた方がきっといい子になりますよ。まだ、頭の勉強ばかりまだや
  っているのかなあということで、あきれたんです。山に行ったり、海に行ったりしな
  がら自然と一緒に育った子供たちがいい。誠実心、真の心をなくしてしまっている。
○一遍上人がお話をしている縁の下で、乞食とか、ならず者のような人がじっと聞いてい
  る。縁の上でも、縁の下でも・・・。「わしらの気持ちをがわかっているのはこの坊
  さんや」と偉い人だと尊敬するようになる。それをみて、松山にきて、私は一遍上人
  のまつってあるお寺にゆきます。いちばん下の人の助けになることが大切です。
○頬庵に来る人達は、どうぞ、真の心を持ってください。おばあさんがあの世に行こうと
  する時に一緒に迎えにきたのは、ネコだったという。結婚して10年目に娘が誕生し
  まず、かその時は、猫を飼っていた。かわいがった。ネコにおしめをあげるというと
  ころまでやってきた。猫はオシメなんかしたって何にもならん。年老いてきた。それ
  を捨てるという。起きられないぐらいに猫がおなかをこわしてしまった。子猫のよう
  なものである。僕の枕元にしばらくしました。それから、行方不明です。それっきり
  です。どこに隠れたのかわからない。今でもその猫がかわいい。自分が身をひいてく
  れた。
○それから、14年目に子供だ誕生した。犬にはいじめられた。僕だけほえるというので
  す。宇和島に着任したら、宇和島じゅうの犬がほえる。本当に町を歩いていたら、ワ
  ンワンほえるんですよ。杉村シュンタイニ先生と一緒にいたら、犬が喜ぶ時の最高の
  喜び表現であるというのです。先生が帰ってきたものだから、犬が喜ぶという姿を見
  ました。それから、犬も好きになりましたが・・。腹をひっくりかえして喜ぶ姿をみ
  て驚きました。あんなに犬が主人を慕う・・・。
○動物といえども、相手の真の心というものが出てくるということを思います。ああいう
  小さい猫とか、犬にも人間の愛情がわかっている。そういう愛情の世界というのは、
  家の中で消えています。
○家の中で子供を差別してはいけません。僕は新田という高校に6〜7年いました。本当
  にみんないい子です。しかし、「母親を嫌うんです」「どうして母親を嫌うのか」と
  たずねてみると。母親は「姉はいいがお前はなにか」ということが多い。父親も同じ
  ようなものである。差別するというのがいちばんいけません。
○僕の母は子供たちをひとつも差別しなかった。これはえらかった。感謝しています。背
  別する様な心。いちばんダメなのは、母親が子供を差別するということです。仏教の
  えらさは差別しないということです。僕が神道の学校でありながら、仏教の道に進ん
  だというのが、差別しないということです。
○この人はいい人だ。私達を差別しないで見てくれる人だということでならず者たちが尊
  敬するようになる。民福という徳がある。頭の中で差別するという家庭が増えてしま
  って・・・。どうぞ、皆さん、差別しないでください。

〔片山会長〕
○朴の木も新芽が開きました。
○朴の木の「誠実な友情」という花ことばも解説いただきました。
○世の中、いいわけばっかり、ウソばっかりという世相です。
○岡山の北斗病院をやっている土井先生と、地元の砥部の松下さんが碑を立てられました
  。「めぐりあいの不思議に手をあわせよう」と「不言実行」がはじめて・・。先生の
  碑は622基になりました。六大州にあります。外国に33あります。砥部に暮らし
  ていらっしゃっても、先生の言葉は世界に広がっています。
○広島のエンビ会の皆様、48名がおいでくださいました。
○入魂式はあんまりたびたびするということではありません。先生にご負担をかけますの
  で、伊予の石を使いたいという人であれば・・その都度、お願いします。
○これから、個別に挨拶をしていただいて、食事も一緒にしていただきます。
○本の販売も隣でやっています。あまり、本の販売を先生も好まれませんが、扉書きをし
  ていただいたものを準備しています。
○今月の詩国の中に紹介している。松山城の400年の記念行事で、松山築城の物語の書
  籍もあります。88歳でいらっしゃいます。

南国木鶏クラブ 代表世話人の黒瀬英作さんよりお送り戴いたファイルです。
 平成14年4月7日(日曜日)朴庵例会メモ(録音テープより)


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